保阪正康さんの近現代通史【昭和天皇が歩んだ20世紀】<第一期>後編

昭和天皇の生涯を通して「日本の20世紀」を描く


昭和天皇は明治34年(1901)に誕生し昭和64年(1989)に崩御されました。その生涯は明治・大正・昭和の三代に渡ります。この講座では、立憲君主、大元帥、現御神、国民の象徴といったさまざまな顔を持って生きた昭和天皇の視座から、日本の近現代史を通観します。

この講座は2年間・全24回の連続講座を予定しています。
第一期は、日露戦争から真珠湾攻撃までの40年間を前編・後編に分け、1年間・全12回で学びます。
第二期は、戦中・戦後の約50年間を範囲とし、2018年10月-2019年9月に開催する予定です。第二期の募集は、2018年夏開始予定です。

保阪正康

保阪正康

前編:昭和天皇から見た祖父・明治天皇、父・大正天皇

明治天皇と大正天皇の生きた時代はそれぞれ異なり、その性格や考え方もまた異なっている。近代日本の形は、このふたりの天皇によってつくられたが、昭和天皇はふたりの天皇をどのように見ていたか、またふたりの天皇は、昭和天皇に何を託したのか。そのことを具体的に検証していきたい。

そのことによって、天皇家には、どのようなことが伝わっているのかを歴史の年譜とからめて考えていくことにしたい。

後編:昭和天皇と昭和前期での戦い

昭和天皇が摂政宮に就任してから、昭和16年12月までの昭和前期に、天皇はどのような気持で日々をすごしたか。軍事を軸にしながらも、自らの歴史的な役割は何か、皇祖皇宗に対してどのような気持を持ったか。そのことを確かめながら、日本の歴史でもっとも困難な時代に身を置いた昭和天皇の姿をありのままに見つめていきたい。

昭和天皇の心中には、軍事主導体制そのものへの疑問と、しかし簡単にはいかない現状変革との闘いという側面があった。昭和天皇の苦悩・困惑・怒りを歴史の中に位置づけて考えてみたい。

おすすめする方

  • 日本の歴史、特に近現代史について知見を深めたい方
  • これからの日本のあり方、世界の中の日本の位置づけについて、歴史を通して考えたい方

講師

保阪正康

保阪正康ほさか・まさやす

ノンフィクション作家

1939年北海道生まれ。同志社大学文学部社会学科卒業。日本文藝家協会、日本ペンクラブの会員「昭和史を語り継ぐ会」を主宰。主に日本近代史(とくに昭和史)の事象、事件、人物に題材を求め、延べ4,000人余の人びとに聞き書きを行い、ノンフィクション、評論、評伝などの分野の作品を発表している。

現在、『昭和史の大河を往く』シリ-ズ(毎日新聞社)は、全13巻を数えている。一連の昭和史研究で、2004年に菊池寛賞を受賞。

主要著書


開催概要

日程第一期 後編: 2018年 4/14、5/12、6/9、7/7、8/4、9/8(すべて土曜日) 全6回
時間原則14:00-17:00(3時間) ※9/8のみ14:00-18:00(4時間)
定員25名
会場慶應丸の内シティキャンパス
参加費

agoraメンバーシップは講座参加費の割引と講演会の受講券がセットになったお得な制度です。詳しい内容はこちらをご覧ください。


講座内容


10月14日(土)14:00-17:00

前編第1回明治天皇と日露戦争

明治37年、38年の日露戦争で、明治天皇はどのような役割を果たしたのか。あるいはいかなる歴史観のもとでこの戦争と向きあったのか、その点を検証する。とくにまだ幼年期の皇孫殿下(のちの昭和天皇)は、どのような理解を持ったのか、そのあたりを克明に見ていきたい。


11月18日(土)14:00-17:00

前編第2回大正天皇と韓国(併合後の李王朝)

明治43年、日本は韓国併合を行う。伊藤博文は李王朝の皇太子李垠を日本に連れてくるが、李垠のために朝鮮語を覚えた大正天皇との交流はもうひとつの日韓交流史を示している。大正天皇の人間性、天皇としての意識などを改めてみつつ、昭和天皇の心中を見ていく。


12月9日(土)14:00-17:00

前編第3回昭和天皇が見た第一次世界大戦の戦場

昭和天皇は皇太子時代の大正10年に、イギリスを中心としたヨーロッパに視察旅行に赴く。この半年近くの旅行は青年皇太子に多くの影響を与えた。その内実をさぐってみるとわかるが、とくに第一次世界大戦での戦場を見ることにより、多大な衝撃を受けた。その心理はこれ以後にどういう影響を与えたかを考える。


1月13日(土)14:00-17:00

前編第4回大正時代の東宮御学問所

昭和天皇は大正3年から10年までの間に、東宮御学問所において特別の帝王学を受けた。この帝王学の内容を分析していくと、そこには大正天皇や貞明皇后の心くばりが見えてくる。


2月3日(土)14:00-17:00

前編第5回昭和天皇の少年期、明治天皇の残像

昭和天皇は、少年期から青年期にかけてどのような明治天皇像を持っていったのだろうか。軍事主導体制下に大元帥として君臨した明治天皇への想いを検証していきたい。


3月10日(土)14:00-18:00

前編第6回摂政としての苦悩と新天皇像

大正天皇の体調がすぐれないために、大正10年11月に皇太子(のちの昭和天皇)は摂政宮に就任することになる。このころ英国訪問、御結婚と皇太子は多忙な日々をすごすが、どのような天皇像をつくろうとしたのか。その本意をさぐっていく。


4月14日(土)14:00-17:00

後編第1回摂政宮としての5年間

昭和天皇が摂政宮に即位してからの5年間、日本社会は奇妙な空間となった。「天皇がいるのに、天皇がいない」という時代になったからである。陸海軍を動かす大元帥は不在、皇太子は軍隊の中ではまだ佐官の地位にあった。従ってこの5年間は動いていない。かわって大正デモクラシーの時代であった。その間の昭和天皇の姿を見ていく。


5月12日(土)14:00-17:00

後編第2回昭和天皇と満州某重大事件

昭和天皇にとって、即位してから初めての困難な問題は満州某重大事件(関東軍による張作霖爆殺事件)であった。この事件の報告をめぐって田中義一内閣との間に軋轢が起こり、期せずして帝王学が初めて試される出来事となったのである。昭和天皇の心中を改めて整理していく。


6月9日(土)14:00-17:00

後編第3回昭和天皇と満州事変前後の軍部

昭和6年9月の満州事変は、昭和天皇にとまどいと不安を与えた。大元帥として軍部の要求を飲むように圧力をかけられながら、その反面でできれば軍部とは一線を引きたいと考えつつも、それが実らない。昭和天皇にとって、もっとも苦しんだことは何だったのか。そのことを確かめることで天皇と軍部の関係が浮きぼりになってくる。


7月7日(土)14:00-17:00

後編第4回2・26事件への困惑と怒り

昭和天皇にとって昭和11年の2・26事件は、許しがたい暴挙であった。にもかかわらず、それが4日間もかかってやっと制圧されたのはなぜだったのか。この間の事情を調べていくと、昭和天皇はこのころまで軍事指導者に利用されていたことがわかる。天皇が示したその怒りの本質をより具体的に見ていくことで、昭和史の暗部がわかる。


8月4日(土)14:00-17:00

後編第5回日中戦争と三国同盟の潮流の中で

昭和12年7月の日中戦争、そして翌年の張鼓峰事件、さらにその翌年のノモンハン事件と軍部の軍事行動は広がっていくが、昭和天皇はそのつど困惑しながらも容認していく。日本は単に軍事上の道を歩むだけでなく、精神的にも皇国史観が徹底していく。昭和天皇とその周辺の側近たちは教養主義:知性重視の中で、新たな対立の図式をつくりあげていくことになった。


9月8日(土)14:00-18:00

後編第6回真珠湾攻撃への道と昭和天皇

結局、日本社会は昭和10年代に入って、ひたすら戦争の道を歩むことになり、それが昭和16年12月8日の真珠湾奇襲攻撃へとつながっていく。この直線的な歩みの中で、昭和天皇はどのような考えを持っていたのだろうか。そのことが歴史的にも重大な意味をもつことになる。昭和天皇の置かれた状況を改めて検証していくことが重要になる。


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